2010年12月23日

映画、「死刑台のエレベータ」

首尾よくいった、さあ逃げよう。
車にのってビルを見上げると、大変だ、カギのついたロープを忘れて来た。
さっと行ってとって来よう。警察に見つかったら犯行がばれてしまう。
エレベータに乗っても気があせる。と、突然エレベータが停まって電気が
消える。みんな退社したから保安係が電源を切ってしまったのだ。
男は出られない。残してきた車に、花売り娘のチンピラ恋人が興味を示して
いる。金持ちの良い暮らしがあこがれなのだ。
と言う間に、二人とも車にのって出発してしまった。あてもなく。
夜が更けてくる。男は出られない。あせっていろいろ試みるが徒労だ。
女が待っている。男が来ない。
「殺せなかったんだわ、いくじなし。でも、どこへ行ったんだろう」
若い恋人たちはつぎつぎと何かを引き起こしていく。
もう夜があける雨が降って来た。女は男を探す。
このジャンヌ・モローの存在感。
やっぱりすごい映画だ。
バックには、マイルス・ディビスのトランペットだけ。
ピアノとベースとドラムスだけが静かにそっと音を添える。
このレコードどっかにあったはずだ。
わずかの所蔵レコードをくまなく探しても見当たらない。
「あった」
一枚のレコードというのではなくて、オムニバス盤のような
レコードに収録されてたやつを持っていたのだ。
レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、チャリーパーカー、
セロニアス・モンクなどあまりにも盛りだくさんだ。
でも、もいっかいゆっくり聞こう。
そして、この映画、いまだにカッコいいし、
サスペンスとしてなかなかのものだ。
さあ、エレベータに閉じ込められた男はどうなる。
夜の街を彷徨う女はどうなる。
若い二人はとうとう人殺しか。

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毎週木曜は映画、音楽、書画に関する話です。
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2010年11月18日

映画、「セラフィーヌの庭」

ごく普通のおばさん。修道院で働く信仰心の篤い家政婦さんだ。
その人の憩いの場所は村にある森だ。
毎日森にいって、木や花や森の精霊と話をしている。
そういう日々のなかでいつしか森の精霊が、セラフィーヌに画を描けというのだ。
貧しい家政婦の暮らしで、絵具やキャンバスを買えるはずもない。
それでもいろいろくふうしながら画材を整えるのだ。
勿論、画は木や花やそれに宿る森の精霊だ。
それが、ある日、村に逗留していたドイツ人の画商、ウーデの目にとまる。
ウーデは、ピカソやルソーを有名にした人らしい。
原始的な心の躍動を画の中に見てとるひとだったのだろう。
映画の中でも、アンリ・ルソーの画が登場していた。
そして売れ始めた。
お金が入ると色々な事が起こる。
でも、それでいいじゃないのだろうか。
自分の画が金になったのだから好きに使えばいい。
彼女が幸福だったかどうかはわからないが、画は素晴らしい。
大好きな木や花や森の精霊から力を貰って描いているというのがよくわかる。
力強くて暖かい画だ。
この世ならぬものに導かれてひたすら画を描く暮らしができたというのは素晴らしい。
油彩と水墨の違いはあるが、画を学ぶものとしては、大きな元気をもらうことが
できた。

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2010年11月04日

忠三郎狂言会

友人に誘われて久しぶりに狂言に行った。
最近は能の合間の狂言は見たことがあるが、狂言だけの出し物は
久しぶりだ。
今回の演目は、鎧、昆布売、柑子、仁王だ。

 茂山忠三郎御大の語りだけ。
 声はさすがにしっかりしているがかなりのご高齢になられてしまった。
昆布売
 お供がいない侍が、たまたま通りかかった昆布売りに、無理やり供に
 ならせて、自分の太刀をもたせようとしたら、逆にその達で脅されて
 昆布まで売らされる始末に。
 庶民パワー爆発のなりゆきに大爆笑だ。
 段々立場が逆転していく掛けあいが面白い。
柑子
 主が太郎冠者にあずけたはずの一枝に3個成る、めずらしい三つ成りの
 柑子(こうじ)はどうなったのかと問い詰める。
 実は主が酔っ払っているあいだにすっかり頂いてしまったのだ。
 それをぬけぬけと言い抜ける太郎冠者のしたたかさが実に面白い。
 こうみごとに言い抜けられたらさすがに怒れないだろう。
仁王
 掛け事に負けてすっからかんになってしまった二人組が、仁王に化けて
 供え物をちょろまかそうと考えた。
 折角うまくいったのに、欲をかいて、もう一回やろうとしたら、
 体をさすらまくって化け皮が剥げてしまった。
 仁王にばけた男が10数分も微動だにしないのは見事だった。さすがに
 プロだ。
 古典芸能、狂言の世界でもアドリブがありとは初めて知った。
久しぶりに大笑いして実に楽しかった。
やっぱり古典芸能はええな。

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今日は狂言の話でした。
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2010年10月28日

映画、「氷雪の門」

昨今の尖閣諸島についての中国の動きをテレビなどで見ている限りでは
駆け引き好きで立ち回りがしたたかな反面、全体的には未成熟な印象を
受けてしまうが、むしろ、北方領土をめぐるロシアの方がもっと底知れない
恐ろしさとしたたかさを持っているのではないかと個人的には思っている。
例えばこの映画だ。
もう戦争は終わっていた。
ポツダム宣言を受諾して、敗戦状態になっていた日本を更に攻撃してきた
のだ。樺太の残り半分を一気に奪い、あわよくば北海道まで割譲させよう
というのだろう。
沖縄の悲劇も忘れてはならないが、此の時の樺太の悲劇も忘れてはならない。
最近は暗い映画をよく見ていたので、もうしんどいなあと思っていたが、
やっぱりこの映画は見ておいて記憶にとどめておかないといけないと
思った。
敗戦という烙印で反撃できない日本人を、一方的に砲撃し、銃撃し、
殺戮するなんてあんまりではないか。
しかもこの映画は、製作された時、ソ連の圧力で封印されてしまったのだ
そうだ。
この悲劇の電話交換手の仕事も今はすっかり電子化されてしまった。
どんどん電子化されていって、仕事の使命感や責任感までがどこかに消えて
いってしまうのでは寂しいなあと思った。
見るのはつらいけど、良い映画でした。

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2010年10月21日

能、「祇王」

ずっと前にベトナムの人達を案内して嵯峨野に行ったことがある。
その時に祇王寺にも行ったのだった。行く前はほんのちょっとした茶室
のような建物がひっそりと建っているのだと思っていた。竹藪を抜けて
坂をのぼっていると確かにひっそりした門があったが、中に入ると
かなり立派な建物であったので意外な感じがした。
能の「祇王」はこの祇王と仏御前の話だ。
白拍子の仏御前は何とか世に認められたいと、祇王に仲介をたのんで
平清盛の御前で舞を見せることになる。
最初は見たくも無いと思っていた清盛が、実物を見たとたん、えらい
気に入ってしまって、そのまま愛妾にしようと決めて、祇王には
もう帰れと言う。
これはえらいことになったと気が咎める仏はどうする・・・
大体こんな話で、権力者の我儘とそれに翻弄される女性たちの悲劇を
描いたものだ。
シテが二人も出て、相舞を舞うのは壮観ではある。
けど、ちょっと納得いかないのは、清盛に会って、気に入られたら
そうなるのはわかってたはずと思う。
それでもいろいろ無理をしてやっと舞を見て貰って、そのあげく首尾
良く気に入られたら予想通りの事が起こったはずで、それで祇王に
対して後ろめたいとか、申し訳ないとかはおかしいではないだろうか。
見ながらぐちぐちと変な事ばかり考えていた。
簡単に言うと、あんまり面白くなかったのだ。
やはり、霊界と現実とはいりまじって夢幻の世界をつくる舞台の方が
面白い。
もっと研究して見に行かないといけないのだ。

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本日は能に関する話でした。
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2010年10月14日

映画、「トロッコ」

画面の中から緑が滲みだしてくるような映画だった。
あの緑があるだけでも心が洗われるようだ。
台湾の花蓮というところの風景らしい。物語りは花蓮の南平駅に母子3人が
着いたところから始まる。
いいところだ。日本の田舎ですらなくなりつつあるような、自然と共生した
暮らしがここにはあるようだ。
そしてトロッコ、トロッコは少年のかぎりない好奇心を運んでくれる魔法の
乗り物だ。
しかし、行きはよいよい帰りは怖いのだ。
そういえば、遥かな昔、少年時代、昔の家の近く、今では廃線になってしまった
ローカル電車に何故か乗ってしまって、どうやって帰ったか覚えてないが、
必死で帰ってきて怒られた記憶がある。
又、或る時には、向かいの港まで渡る巡航船に乗ってしまったこともある。
ただの弱虫だったはずなのにこんなことぐらいはした記憶があるくらいだから
だれにももっと大きな冒険談がきっとあるのだろう。
なきさけぶ弟をひきずって、自分も泣きたいだろうに必死でがんばるお兄ちゃん
に、思わず、「がんばれ」って応援したくなる。
おじいちゃんも優しい。
じわっと暖かい気持ちにさせてくれる映画だった。
芥川龍之介の原作とは又違った感動を与えてくれるいい映画だった。
花蓮って一度行ってみたいなあ。

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2010年09月30日

映画、「狙った恋の落とし方」

前にこのブログで元町映画館に行った話をした。
映画館に行ったからには映画をみたはずなのだ。殆どの人は映画館に行ったら映画を見る。
わたしもそうだ。
それでその時は、こけらおとしの映画をやっていた。
「狙った恋の落とし方」というやつだ。実はこの映画を見るのを楽しみにしていた。
中国モノだし、喜劇みたいだし、面白そうだ。
中国語の勉強にもなる。
この映画を見てると、「中国語上手なったんかな?」と思ったりしてしまうほど、
分かり易かった。きれいな標準語を喋ってたのだろう。
中国に行って、日本のモノでどんなモノが好まれているかというと、
歌なら、「北国の春」だ。カラオケ何かでもよく歌われている。勿論中国語の歌がある。
景色なら、北海道だそうだ。何故か北海道が人気でよく話題になるし、テレビなんかでも
よくでてくる。
それだからか、逆にこの映画が北海道ブームに更に火をつけたのか、
北海道の景色が実に美しい。
「こんな綺麗な景色があるんやったら、中国旅行ばっかりしてる場合とちゃうなあ」と
思ってしまうくらいだ。
それに面白い。
大笑いだ。
原題は、「非誠勿擾」というそうだけど、どんな意味なんやろ?
「どうでもええなら、気にせんでええやろ」
こんな感じかな?
でも結局はどうでもよくなくて、恋に落ちてしまうのだった。
それに、杭州には西湖だけでなくて、「西渓湿地」というところがあるらしい。
映画ではなかなかよさげなところだったので、今度行ってみよう。

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2010年09月13日

神戸元町映画館

8月21日、神戸元町映画館がオープンした。
大の映画好きの人が、映画好きが嵩じてとうとう映画館を作ってしまったというのだ。
あの人が主催するからには、一見の価値がある映画ばかりに違いない。
そういう事なら早速にでも行かないといけない。
では、ということで家を出たが、神戸元町は意外と遠い。
「どうやって行こう?」
最近奈良によく行っているのでちょっと気になっていることがある。
「難波から近鉄(阪神)電車で三宮まで行ったらどうなんのやろ」
「今日はこのコースを試してみよう」
梅田からに比べたら本数が少なくて時間がすこし余分にかかりそうだが、空いている。
楽々座っていけそうだ。しかも初めて通る駅ばかりだ。駅名も新鮮だ。
「「武庫川」って橋の真ん中に駅があるんか?」
おもしろい。
三宮についた。元町には乗り換えないと行けない。同じホームだから楽なものだ。
一番前で降りて、エスカレーターを上がる。
左に曲がると商店街に向かうのだ。観音○○とかいう喫茶店のところで右に曲がって
商店街に出る。
平日の元町商店街は人が少ない。ぼーとしながら歩いても誰にもぶつからない。
そのまま商店街をまっすぐ進む。
「風月堂があった」ここの「きんつば」、「ぎんつば」はおいしいのだ。
よく土産に頼まれる。
風月堂に沿って、左に曲がると昔は「青辰」というあなご寿しの名店があったのだ。
震災で閉店してしまったのが残念だ。
よそ見をしないで前を見ないと歩けない。視線は左に向けて、「仏壇の浜屋」を
探しながら行くのだ。
「あった」もうその向かいが、「神戸元町映画館」だ。
簡単、簡単。
中は、暗い、心地よく暗い。
これは良い感じだ。
広さもちょうど良いくらいだ。
これからここに来るのが楽しみだ。
みなさんもこの映画館の応援をお願いします。

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2010年07月08日

映画、「コロンブス 永遠の海」

前にマルコ・ポールの東方見聞録を読んだ事がある。
中国で言えば元の時代、フビライ・ハーンの時代だ。
実の面白かった。元は当時の世界帝国だ。大繁栄の時代だから、そこで見聞きしたもの
は素晴らしい文化であっただろうと思う。
多分その当時のイタリアやスペイン、ポルトガルの比ではなかったろうと思うのだ。
そこで更に東に黄金の国があると聞いた。それが日本だ。
食人の習慣があるとか結構いやな事も書かれているが、冒険家たちの夢をかきたてた
のは間違いない。
「東に行こう」冒険家は船に乗り東を目指したのだ。
インドからアジアから中国から夥しい富を持ち帰った。
大航海時代だ。
「みんな東に行くなら、西から行こうじゃないか」
そんなやつがでてきても何の不思議も無い。
そしてコロンブスの冒険が始まった。
「帆をはり、風をうけ、遥かなる時へ、船よ進め」
「コロンブスはポルトガル人だった」
我々にとってはどうでもいい事のような気がするが、全てが海への思いにつながる
ポルトガルの人にとってはそれは大事な事なのかもしれない。
実はポルトガルのこの地で生まれた。
そしてこの地で育って、この地から旅にでた。
その足跡をたどることが、その思いを満たす事なのだ。
静謐な映画だ。
静かな波の音がずっと頭の中で聞こえている。
簡単に言えば、「眠たい」という事だ。
譬えてみれば、能の舞台のような。
能も時に眠たいけど、よく考えたら奥が深いのだ。
ワキとなる二人の旅人が、コロンブスの見果てぬ夢の霊に導かれて諸国一見の
語り部となって彼の冒険の跡をめぐる。
そうしてみると、時々あらわれる剣を持った女性が彼らの旅を導くシテの役なので
あろう。

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2010年07月01日

映画、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」

前に同じ監督の「エグザイル 絆」を見た。同じマカオが舞台だ。特にどうってことはない
ただのヤクザ映画で、まあ、昔の、「健さんがドスをのんでなぐりこみにいく」見たいな
ヤツだ。しかし、なんとなくとぼけた味とユーモアがあって面白い。
お金のかかったハリウッド映画を見るよりははるかにましだ。
主人公のジョニー・アリディ、往年の大歌手だが年をとって中々良い味をだしている。
映画のとぼけた味とユーモアは監督のものであるのだろうがアリディの味でもありそうだ。
三白眼のとぼけ顔が渋い。
最近、テレビドラマなのかアラン・ドロンの刑事モノをやっていて、それも渋いなと思った
が未だに2枚目ぶっているのがちょっと感じわるかったのでこっちのほうがいい。
まあ、内容はかなり荒唐無稽でドタバタだ。
頭に銃弾が残っていて記憶がどんどん消えていくというし、いくら激しい撃ち合いをしても
エエもんには当たらへん。
しかし、「女がばっちり決めて、オープンテラスにゆったりと座って、煙草を吸いながら
艶然と微笑んだら、百戦錬磨のスケベ男もころっと見とれるだろう」と
考える自信ってどっからでるんやろう。
やっぱり女は怖い。
前回の「エグザイル 絆」の時は、港町で坂の多いマカオの古い街が沢山でてきて、
古ぼけた洋風の家々がなかなかエキゾチックな雰囲気を作っていたので、
マカオに一回行ってみたいなと思ったが、今回はああいうところは殆ど出ないで、
舞台は都会と海岸だった。ちょっと残念だ。

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それなりに結構楽しめる映画です。

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2010年06月24日

映画、「しかし、それだけではない」

副題、「加藤周一 幽霊と語る」
今迄、能というものに関心はないではなかったが、実際に見た事はなかった。
謡曲の本を読んだりすることはあるが、能という舞台にどういうたくらみがあるのかと
いうことには全く無知であった。
この映画に夢幻能という言葉がでてきた。
かなり気になって本を読んで見た。
諸国一見の旅の僧がいるとしよう。
朝に出発し、夜にはその日の目的地に着こうと旅を続けているときに、ふと有る場所を
とおりかかる。
「なにやらゆかしげだ」と思っていると、タイミング良く土地の人があらわれる。
そしていつのまにか日がくれてしまった。
もう既にこの場は霊に支配されてしまっているのだ。
この世に思いを残した霊が現れて、このゆかりの地で果たされぬ思いのことどもを或いは
土地の人となって、或いは幽霊の姿となってかたりつづけるのだ。
霊が時空を支配して夢幻の世界を創ってしまうのだ。
それで霊に支配された諸国一見の僧は語り部となって諸国をめぐるのだ。
生きている加藤さんが、幽霊の思いを語る語り部となるのなら、
その加藤さんが死んでしまった今は、この映画をみたものが、こんどは語り部と
ならなければならないだろう。

映画の中で面白い事を言っていた。
「・・・・人の人生の中で、世の中の様々な形のムラ社会の縛りが比較的緩くなる時期がある。
それは、学生時代とリタイアした後だ。・・・
だから、老人と若者が結託したら面白い事ができるかもしれない。・・・・」
この逼塞した時代にこそ、老人パワーと若者パワーが結託しないといけないのだ。
若者よがんばろう。
それにしても、あの年で眼光炯炬、論理明晰、存在感抜群。すばらしい。

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2010年06月17日

映画、「オーケストラ」

これは面白い!抱腹絶倒の大活劇だ。
ロシアのボリショイ交響楽団。ユダヤ系の演奏家たちが排斥された時期があった。
高名な指揮者も劇場の掃除夫をやらなけらばいけないしまつだ。
そんなある日、事務局長の部屋を掃除していると突然FAXが入ってきた。
パリからの出演依頼だ。
何気なくそれを見た彼は、奇想天外な事を思いつく。
「この出演を横取りするのだ」
追い出された仲間を集めれば楽団が一つ作れる。
ボリショイを名乗ってもなんの不思議もない。
電話で連絡をとりあえばばれることはない。
こんなアホなような話が、「もしかしたらあり得るかもしれない」と思わせる
ところがロシアだからなのだろうか。
ありえない話がどんどん進んで行く。
楽器はどうやって整える?
チケットは大丈夫か?
どこに泊まる?
食事は想い出の場所で。
それぞれの思惑がふくれあがる。
そして、フランスの共演者が登場。若くて美しいバイオリン奏者だ。
そしてまた意外な事件が。
・・・・
でもねえ、この話、ちょっと無理がありすぎやで・・
いろいろあり得ない話が満載のおもしろくてたまらない話だ。
しかし、ひとたび演奏が始まると、話の上のことはどうでもいいとして、
やっぱり素晴らしい音楽の世界だ。映像とともにぐんぐんと引き込まれる。
「チャイコフスキーのバイオリン協奏曲、長いこと聞いてへんかったなあ」
「やっぱりええわ」
帰ってすぐにじっくり聞いた。

荒唐無稽なところもあるが、音楽は楽しめる。
劇場で笑って感動してリラックスしてこよう。

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2010年06月10日

映画、「クロッシング」

もうすぐ二人目の子供が生まれてくるというのに、何もない。
金がない。食い物もない。
とうとう妻が病気になった。薬もないし、あっても買えない。
なんとかしないと皆死んでしまう。
それでとうとう父は、どんな事をしても金を稼いで薬を買おうと、北朝鮮を抜け出す。
そこから家族の更なる悲劇が始まる。
哀しくて哀しくてやりきれない。
ずっと泣いていてしまった。
この世の不条理をのこらず集めて凝縮して物語りにしたかのようだ。
かなり以前に中国の瀋陽に行った事がある。
「ここは北朝鮮が近いから朝鮮族に人が沢山いるよ」
「金正日バッチなんかも売ってる時あるで」
と言う話を聞いた事がある。北朝鮮からいろんなものが持ち込まれているのだそうだ。
しゃれで聞いていたときはまだよかった。
そんなすぐそばであんな理不尽が行われているのだ。
何故革命がおきないの?
何故反乱がおきないの?
何故ベルリンのように壁がとれないの?
いろんな力のバランスが働いているのか?
このままでよしと考える何かがあるのか?
こういう映画を見ていると無力感がわいてしょうがない。
きつい映画でした。

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2010年05月27日

映画、「倫敦から来た男」

この映画を見てからもかなり時間がたってしまった。
それよりずっと前に映画館で、この映画のポスターを見て面白そうだなと思った。
しかも、原作はジョルジュ・シムノンだ。メグレ警視シリーズだけでなくて、確か
「仕立屋の恋」という映画の原作もジョルジュ・シムノンの原作だったような記憶がちらっとあって、
ああいう作品も書く人の本なら「先に原作を読んどこう」という気になった。
なかなか面白かった。
シュールで不条理の世界のようであった。
フランスの田舎の港町。対岸にイギリスがある。毎日イギリスから船がつく。
何もない無味乾燥の日々。船の出入りの為に桟橋を開け閉めする男がいる。
ある日のこと、船が到着した。あやしい男がいる。税関に見つからないよう鞄を陸になげた。
やがて、受け取った男と投げた男が合流した。諍いが始まる。1人が海に落とされた。鞄も落ちた。
そこから事件が始まる。見ていた男が鞄を海から拾い上げると大金が入っている。
何もない街で何かが動き始めた。
被害者は見つからない。犯人も見つからない。
この金はどうなる。
イギリスから刑事がくる。事件の関係者もくる。フランス語と英語、微妙に通じない。
・・・・
こういう作品をどんな映画にするのだろう。
非常に興味があった。
霧の中にたたずむひっそりとした薄暗い港町。
シュールな感じがしてきた。
セリフは殆どない。
事実だけが淡々と写されて行く。
事件に巻き込まれたおとこがずるずると時間を引きずって行く。
・・・・
たいていの場合、原作を読んだあとはつまらない映画と感じるものだが、これは違っていた。
感覚的なものが非常によく表現されていると思った。

昔、この港町の対岸になるのかどうかわからないが、イギリスの田舎の港町に行った事がある。
引退した老人ばかりのひっそりとした港町。
なんとなくこんな感じであったかもしれない。
パブでビターなビールを1パイント飲みながらシュールな感覚に浸ってみたい。

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2010年04月15日

映画、「海角7号」

ベトナム旅行の話、蘇州旅行の話をしていて、すっかり時間がたってしまった。
前に見た映画もだんだん記憶が薄らぎつつある。
ちょっと想い出して、映画の話をしてみよう。
「海角7号」、台湾映画だ。
台湾は大分前に2度ほど行った事がある。何となくあたりがやわらかくて居心地の良い土地柄
という感じだった。電車の中で子供連れの女性に話しかけられたりして、そういう優しい心
を持った国の人達なんだなあという記憶がある。
それに台湾の中国語はゆっくりで聞き易い。中国人はそれを馬鹿にしているようなところが
あるが私には親近感がもてし、会話がすごく楽だ。
舞台は台湾の南の果てだ。
急にロックの演奏会をしないといけないという騒ぎが持ち上がる。
日本からミュージシャンがやってくるのだ。その前座は地元のバンドでやれというのが、
演奏会の条件だ。
メンバー探し、にわか仕立てのバンドの練習。
それを仕切るのが日本人の若い娘というシチュエーション。
地元バンドの一人が郵便配達。その手に日本からきた古い古い手紙がある。どこから紛れ込んだ
か戦後すぐに日本に引き揚げた若者から分かれた恋人にあてた手紙だ。

この手紙をとどけなくては・・・
こんなバンドに演奏会なんかできるのか?・・・
バンドの若者と日本人の娘が恋に落ちてしまった・・・

台湾語と標準語(中国語)と日本語が入り乱れて、言語として聞こえているようで、微妙に
意図がつたわっていない。良くある話だ。
どんなに外国語が流暢でもそんな時があると思う。
その食い違いが時には深刻になる。

そして、南の海の浜辺、大きな夕陽が海の中にゆっくりと沈んでいる。
周りが真っ赤に染まって行く。
そして、彼らの歌が始まる・・・・・

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台湾の南の果ての古い町。一度行ってみたくなりました。
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2010年04月08日

映画、「ずっとあなたを愛してる」

旅行記を書いていて随分時間がたってしまった。大分前に見た映画の話をしよう。
おばさんんがやってきた。お母さんのお姉さんだ。
「おばさんは今までどこにいたの?」
「ずっと遠い所よ」
「どうして今まで一度も来た事がないの?」
実は刑務所に入っていたのだ。
だんだん重い、重い話がわかってくる。
実の我が子を殺してしまったのだ。
死の病で苦しむ息子を医者である彼女が安楽死させたのだ。無表情に煙草を吸う姿が
心の闇の深さをあらわしている。
妹も重い物を背負って生きてきている。子殺しの犯罪者の家族だ。
それでもベトナムの養女を迎えていい家庭を築いて生きている。素晴らしい家族や
友人達がいる。
そして、その姉の心を少しずつ、根気よく解きほぐしていくのだ。
厳しい人や心無い人もいるけど、痛みを分かる人も多いのだ。
人の心は、人の心を通してしか癒されないだろう。

エンディングロールを見ていて気がついたが、
最後に流れていた歌は「バルバラ」が歌っていた。
「・・・あなたは、知っているんでしょう。過ぎ去った事は、戻ってはこない事を・・・・」
柔らかく、深い歌声だった。

過ぎ去った事は戻ってはこないけど。
今ここに愛する人がいる。
重いけど、いろいろ考えさせられる良い映画でだった。

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2010年01月21日

映画、「地獄の黙示録」

沢木耕太郎の「イルカと墜落」という本を読んだ話をしたと思う。
アマゾンの奥の方をボートで遡って行く話だった。
その話の中で、鬱蒼とした密林に囲まれて、物音も殆どない世界で、静かに河を
遡っているこの感じは、どこかで見た事があるという話になった。
それが、映画、「地獄の黙示録」という事だった。
この「地獄の黙示録」という映画は、ベトナム戦争を舞台にした映画で、メコン河を
奥へ奥へと遡って行くシーンがあるというのだ。その感覚と似ていると言う。
もう30年程前の映画だが、話題になったことだけ覚えている。
ワグナーの「ワルキューレの騎行」をバックに軍用ヘリコプターの群れが飛んでくる
場面が繰り返し宣伝されていた。しかし、見ていなかった。
メコン河というとホーチミンから近いはずだ。
何度か行ったホーチミンが懐かしい。
それなら見てみよう。
「イルカと墜落」の中では、この映画、最初はいいが、後半は中途半端だというように
書かれていた。
確かに、メコンを遡るシーンはなかなか面白い。薄暗いジャングルの中を、だんだん
狂気の世界に近づいていくという気分が良く出ている。
それに、カーツに対するある種の共感さえ起きて来る。
しかし、最後の方は、黙示録をイメージしているのかもしれないが、おどろおどろしい
だけで何の事はよくわからない。
メコンと言っても撮影はフィリピンだったそうだし、ワルキューレのでるシーンは
サーフィン聞違いの司令官だとか、メコンの奥で美人のフランス人とナニするとか
話題作にしては、ようわからん映画でもあった。
しかし、この映画でメコンに行きたくなった事は確かだ。
今度ホーチミンに行ったら、こんな奥地までの冒険はできないにしても、
河とジャングルの雰囲気を見て来る事にしよう。

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2009年12月31日

映画、「牛の鈴音」

今年は春に雲南に行った。田植えの頃の棚田を見に行ったのだ。
見渡す限りの山々に山肌一面に田を切っている。
何千何万もの棚田がある時は雲海の下に、ある時は雲海の上に見えている。
壮観であり、荘厳でもあった。
日の出の棚田は息を飲む程美しかった。
瞬間、真っ赤に染まった雲が棚田の水面に照り映え、その上を雲が流れて行くのだ。
田植えは水牛だ。
機械などは使っていない。
田には鴨が放されている。
鴨が害虫を食うのだろう。
自然の営みが美しかった。
この映画は、韓国の山村が舞台だ。
牛と共に田畑を耕して一生を暮らす老夫婦を追いかけたドキュメンタリーだ。
物言わぬ牛と寡黙な老人の傍らで、愚痴を言っているかのように、悪態を
ついているかのように、老婦が喋りつづけている。
このおばちゃんええなあ。こんな感じ大好きやなあ。
まるで彼らの人生を解説してるみたいや。
ここの自然も美しい。心に留めておきたい風景だ。
水墨落書き帖にちょっとだけ画いてみた。
詩は陶淵明。
夏日長抱飢 寒夜無被眠 飢えた夏の日は長いし 寒い夜に布団もない
造夕思鶏鳴 及晨願烏遷 夜は早く朝が来てほしいし、朝になったら日が暮れるのを願う
在己何怨天       己のせいだ。天を恨んでもしょうがない。
どうにもならない貧しい暮らしを謳っている。
しかし、この映画の老夫婦と一匹の牛は実に心豊かな生活だと思う。

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2009年12月24日

映画、「キャピタリズム〜マネーは踊る」

マイケル・ムーアの作品は最近殆ど見ている。相変わらず痛快な作品だった。
やはり今の不況に時代に誰しも興味がある内容なのだろう、月曜の昼間に行った
のに空席なしの満員だった。
いつもは予約何かしたことがないし、平日の昼間に満席と言う目にあったこと
もないからいきなり行っても大丈夫だろうとたかをくくっていた。それでも
ネットで予約できる事を教えてもらって念のために席を押さえておいたのが正解
だった。
日本人はモノづくりが好きとよく言われる。
私もモノづくりの会社に入って30年以上勤めた。
モノづくりは大好きだ。
先日テレビを見ていたら、ちょうどこの映画のような特集番組があった。
世界一の頭脳が集まっているかもしれないアメリカのMITやハーバードの卒業生が
どんどん新製品の開発に参加していると言うのだ。
どんな画期的なモノかと思えば目に見えないモノだった。
金融商品の開発だ。今までにない画期的なビジネスモデルを開発したという。
何かおかしい。うさんくさい。
空中に楼閣を建てるようなものだ。
そんな美味い話がいつまでもつづくはずがない。
誰でもそう恐れるような事が起きていて、案の定破たんした。
しかし、仕組みが破たんしただけで誰も罰を受けない。
それどころか、公的資金をつぎ込んで救済するという話だ。
その公的資金はそんな魔法をしかけて居座っている人達のやつの報酬になるのだ。
絶対におかしい。
そういえば、昔、ITの仕事をやっていた。
経営改革とかグローバルスタンダードを採用しないと世の中についていけないとか
いうコンサルタントがわんさと押し寄せてきて、かっこいいプレゼンをやって
いくつものプロジェクトを走らせていた。
何百億円投資して、何百何十億円かを儲けるという話だ。
「そんなのおかしい」と反対しても、「近代的な理論を理解できない時代遅れのやつ」
と烙印を押されるだけだった。
しかしやっぱり、投資だけが現実だった。
それでも、どんな話でも、理論はやっぱり間違ってなかったという。
やり方が悪かっただけだという。
世の中に害をなす理論ってどうやって見つけるんだろう。

$袋を持って行って、俺達の金を返せとい迫らないといけないところは一杯有るかもしれない。

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2009年11月19日

映画、「パイレーツ・ロック」

実に楽しい映画だった。久しぶりに感動した。
60年代、ブリティッシュロックが最盛期の頃の話だ。
イギリスBBC放送では、ロックが1日数十分に制限されていたのに対抗して、
公海上に船を浮かべ、そこから海賊放送をする人たちがいた。
24時間のディスクジョッキー番組だ。
何人もが入れ替わり立ち替わり一日中お喋りパフォーマンスをやるのだ。
実にかっこいい。
それをけしからんと取り締まろうとするお上との戦いの物語だ。
昔のロックが次から次への山のように出てくる。
しかも、なみだあり笑いあり、愛あり、怒りあり、お色気もありの痛快
大活劇でもある。それぞれのシーンで実にぴったりの歌が流れるのだ。
おもわず一緒に歌いたくなる。
そんな楽しい番組を家で寝ながら、街で酒を飲みながら、仕事しながら、恋人と
語らいながら、いろんなところでプラスチックラジオから音楽が流れてくる。
懐かしい形だ。あんなので音楽を聴くって実はかっこいいなあ。
プラスチックラジオといえば、
「わしは日本で初めてプラスチックラジオを設計したんや」という人の部下で
仕事をしたことがある。
いつまでも少年の夢をすてないでまっしぐらに進もうとする人だった。
現実の場でそんな事がつづけられるはずもなく、いろんな軋轢を引き起こして
しまった。今となっては懐かしい思い出だ。
ロック万歳。
ロック野郎達の運命は如何に。
こんなにロックに浸れるのはいいなあ。

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